「スピードアップ」卒業。スピードダウンで頑張ります。

こんばんは。藤川あおばです。

・・・このところ、ちょっと急ぎすぎていたかもしれないな。
心配してくれた友人に「明日からはスピードダウンで頑張ります」とラインを打った。

私は、小学校1年生の通知表に書かれた『「スピードアップ」で頑張りましょう』の文字が忘れられない。
でもあれから20年、大人になった私が今度は『「スピードダウン」で頑張ります』なんて書いている。
正反対。面白いなぁ。

自分を縛ってきた評価や価値観も、余計なものから手放していかなければね。
大人だから、できるよ。

遅れがちだった小学校時代。大人になっても「スピードアップ」が追いかけてくる。

私は幼い頃からドジなうえに心配性だったので、いつも周りのみんなに遅れをとっていた。

あれは小学校1年生のとき。
授業でアサガオの種をプラスチックの鉢に数粒植える、という至極シンプルな課題に取り組んでいた。

なにかと遅れがちであることは自覚していたので、早く植えようと急いだ。
すると焦って種が指から滑り落ちてしまい、黒い土の上でどこにあるかわからなくなってしまった。

探しているうちにほかのみんなはどんどん植え終わって教室に戻っていく。
また最後になっちゃった・・・。涙が溢れてきた。
担任の先生は「どうしてそうなっちゃうかなぁ」と言って、一緒に種を探してくれた。

そして、その年の通知表に書かれたのが「スピードアップで頑張りましょう」というコメントだった。
(※下部に追記あり

それからずっと、何をするにも「スピードアップ」と自分に言い聞かせてきた。
私は人より遅いから、と、いつでも焦っていた。
周りに遅れをとらないように、神経を張っていた。

大人になり仕事を始めてからは、スピードと同時に正確さを求められるようになった。
スピードに対する劣等感と同時に元来の心配性がいたずらをして、もうヘトヘト。
なんだか、どこまでやっても周囲についていけていないような気がした。

先回りできてる。速さへの劣等感に終止符を。

今回、突然糸が切れた感じで、黄色信号が灯ってしまった。
休みをすすめられ、4日間、知っている人が誰もいない遠い場所で過ごした。
年次有給休暇を使って、突然の旅行。完全なるサボりである。

けれども元気だった私が先回りで仕事を終わらせてくれていたおかげで、すぐ休みに入ることができた。
向こう1週間のスケジュールはすでに組んであったので、引き継ぎもスムーズだった、と思う。
提出モノの締め切りも落とさなかった。

・・・あれ?できてる。先回り。

今まで盲目的に「私は遅い人間。人よりも急いでやらなければならない」と言い聞かせてきた。
劣等感とともに過ごした20年間だった。
けれどもそういえば、上司から事務処理が速い、と褒めていただいたことは少なくない。
先入観が強すぎて、その言葉さえ簡単に流してしまっていた。

小さい頃の「遅れた私」はもういない。

合格点は自分で決めるもの。

子どもの頃、とりわけ小学校では、親や先生をはじめとした周囲の大人の評価がすべてになる。
他の子どもと比べて劣っている能力を指摘され、追いつくよう大人に働きかけられる。
大人が穴を見つけて、子どもが土を運んで埋めていくイメージ。

穴というのは大抵、平均を下回っている欠点。平均的にできていれば、特に何も言われない。
逆に、穴が見つかったとして、それを埋めてもあくまで「フツウ」に追いつくだけ。
特に褒められる類のものではなかったりする。

大人がするのは、穴に気づかせるところまで。
土を運んでせっせと埋めるのは、子ども自身の努力。
手を止めるのも、その子自身の判断で。

不合格のラインはハッキリ決められているのに、合格のラインは提示されない。
合格点=手を止めるラインは自分で決めなければならないのである。

「スピードアップ」の文字がいつも私を追いかけていて、ずいぶん長い間劣等感に囚われていた。
周囲をよく見ているほうだと自負しているけれど、正しく見ることはできていないものだ。

私は、おそらく求められる「フツウ」に到達していた。
けれどもずっと土を積んでいたから、今度は手を止めるのが怖くなっていたように思う。

自分像を更新しよう。子どもの頃に貼られたラベルを大人の自分が書き換えるのだ。

子どもが大人に下される評価は「周囲との比較」が軸になっていることが多い。
特に幼稚園〜小学校の頃は、個性と社会適応の狭間にいる時期。
大人のほうも尊重すべきポイントを迷って、見誤ったり、心ない評価を下してしまうかもしれない。

だから自分が大人になってから、立ち止まって評価をつけ直すことがすごく大事。
自分自身で、正しい評価軸を引き直すこと。冷静に、正確に。

十何年間も行動を積み重ねてきたんだ。
あの頃の自分とは絶対的に違う存在になっている。

子どもの頃の自分と大人になった今の自分は、まったく別の自分である。
ピカピカのラベルを貼って、古いラベルは捨てて、胸を張って生きてゆきたい。

* * * * * * * * *

混乱の中過ごした4日間の終わり。
無意識に打ち込んだ「スピードダウン」という言葉がやけに腑に落ちた。
息を切らし走り続けた20年間に「たいへんよくできました」の◎をつけてもらえたようで頼もしい。


★ 2018.7.23.追記
通知表に「スピードアップでがんばりましょう」と書いたのは、母でした・・・!!
十年以上も担任の先生が書いたと思い込んでいたんですね。
実家で通知表を見直していたら、書いてあったのは保護者の欄でした。(笑)

スーパー・ブルー・ブラッド・ムーンの夜に、大阪のおじさん2人と飲んだ話。

こんばんは。藤川あおばです。
文中の関西弁は、雰囲気で。

なんでここにいるんだろう、と考えながら歩いてたら、二人のおじさんに会った。

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夜の小さな飲み屋街。
ここって自分の町から何キロ離れてるんだろー。なんでこんなところ歩いてるんだろなぁー。
頭の中で独り言を言いながら、とある立ち呑み屋が目に入った。

「今日は皆既月食らしいで〜!!」と言いながら写メを撮るお客さん。

そうだった、今夜はスーパー・ブルー・ブラッドムーン。
30何年に一度だったか、すごく珍しい月が見られる夜だった。

店員さんの掛け合いから、雰囲気のよい店なんだろうな。
今夜はガヤガヤしたい気分。あとで寄ろう。

一度通り過ぎ、夕食を別の店でとって戻ると、あいにく満席の様子。
50代前後と見える常連客らしい男性2人が、中に向かって「二人なんやけど、入れるかー!」と声をかけているのが見えた。

今日は諦めよう。私は気にならなかったような素振りで退散しようと思っていた。
すると、「一緒に行きます??」と唐突に声をかけられた。
私もちょっとは迷えばいいだろうに・・・間髪入れず、実は入りたかったんです、と言って仲間に入れてもらうことにした。
「ほらほら、そうや思ったんよー!!」
再び中に向かって、「三人、いけるかー??」と伝えてくれた。

・・・私もまずまず年頃の女である。
一般的には、もう少し警戒する必要があったのかもしれない。
「おいおい大丈夫かよ」と突っ込みたくなる友人たちもいると思う。
でも、別々に店内に入っても、きっと結果は同じことじゃない?
隣にいたら、喋っていたと思うし。
特にいやらしい感じも受け取らなかったので、ご一緒させていただくことにした。
二人とも、まさか本当についてくるなんて思わなかっただろうな。

白ワインと梅酒、スルメキムチに磯辺揚げ。話題は結婚、そして仕事の話。

遠くへ来たものである。
ここには誰も知っている人はいない。
なんでも言える。

20代後半の女性に振る話題はやはり「結婚してないの?」「しないの?」という鉄板ネタ。
私は、しません、向いてないと思うので、と答えた。

ひとりの時間を大切にしていること。
そうしなければ自分を保つことが難しいこと。
だから家庭をもつことはできないだろうということ。

「それじゃあ今は結婚して辞めるっていう選択はないよなぁ」という話から、話題は仕事へ。
むしろ、仕事の話を聞いてほしかったから、私の方から振ってしまったところもある。
気持ちがドロドロ溢れてしまうのだ。今日も、ここに来るまでに何度泣いたかわからない。

どこまでやっても頑張りが足りない気がすること。
手を加えられる部分が目についたら放っておけないこと。
できないくせに完璧主義だから、いっぱいいっぱいになるのだということ。

今の上司は、頑張ったらその分評価してくれる。
環境に問題はない。私の問題だ。

二人は言った。
「適当でええんや!頑張らんでも、なんとかなるもんやで」と。
「休んだって、周りがなんとかしてくれるしな」と。
・・・今まで何度も何度も言われた言葉だ。上司から、同期から。
声をかけてくれる人がいなくて苦しんでいる社会人が、この日本にどれだけいるの?
私は本当に恵まれている。なのに。それなのに。

手を抜くことができない。
家に帰っても仕事のことを考えてしまう。
あれをやらなきゃ、これをやらなきゃ。
自己満足が、自分を苦しめる。

自己満足が自分を苦しめている。

業務上、流していいところまで突き詰め過ぎている自覚はある。
どうしても気持ちがわるいのだ。
見えたものを見過ごして、それでできたことにしてもいいのだろうかって。

ブログでもTwitterでも重ねて書いているけれど、私は「早く帰りたい」。
1日の終わりは、ひとりで静かに自分に戻りたい。
もしも残業が続く部署に行ったら、元に戻る時間が足りなくなってぶっ壊れると思う。

時間を確保するために、自分を「普通」に保つために、私は仕事を高速化する。
係の仕事がうまく回るように、邪魔をしないように、少しでもプラスになるようにって意識している。
なんだか、そうしないと罪悪感につぶされてしまうのである。
「みんな」が気になる。潰れるくらいなら気にしなきゃいいのにね。

「早く帰るために完璧を目指す」。
それももう潮時かもしれない。

近くにも遠くにも、「頑張らんでいい」という人がいる。ということは、本当に本当に、そうなのだ。

「頑張らなくても、なんとかなる」。
身近な上司や同僚、友達も、そう言っている。
それどころか、偶然一緒に飲んだ大阪のおじさん二人だってそう言っている。

今回嬉しかったのは、「公務員だから休んでこんなとこ来てるんでしょ?甘いことを」って一喝されなかったこと。

「公務員は勤務条件に恵まれているから、文句を言っちゃいけない」。
「休んで甘えて、お前は何を考えているんだ」。
そう言われるかもなぁ、って思ってた。
学生時代からの友人の一部からはそう言われたし、公務員叩きみたいな風潮もだいぶ緩やかになったとは言え、声は気になってしまう。

でも、そんなふうに言って一番追い込んでいたのは、周りではなくて私自身なのかもしれない。
あほか。しんどいったらありゃしない。

私、とりあえず追い込むのやめるよ。
適当にやって、適当に切り上げるよ。
それがどうしてもできなかったら、、、どうしようかな。
今はよくわからないや。

そういえば、月がすごく珍しい夜だったっけ。(2回目)

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おじさん2人と話すのに夢中で、スーパー・ブルー・ブラッドムーンを写真に収めるのを忘れていた。
皆既月食になる前の、欠けた写真しか撮れなかったなぁ。
けれども、それ以上に有意義な時間だったと断言できる。

何十年か待てば同じ月を見ることができるけれど、2人とはこの日・この時間しか交わることができなかったのだから。

読んでいないのはわかっているけれど。
田舎の小娘の愚痴を、ただの一度も否定することなく聞いてくれたお2人へ。
本当にありがとうございました。